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The Greening of Japan #1生活を、もう一度自分の手元へ

10月8日
読了時間: 5分

更新日:10月8日

The Greening of Japanは、これからの日本での暮らし方を、自分なりに考え直していく全5回の連載です。


私たちは、ずいぶん遠いところまでやってきた。

食べ物はスーパーに行けばあるし、蛇口をひねれば無限に水が出て、スイッチを押せば電気が永遠につく。スマホひとつで地球の裏側にいる人と話すことができ、数秒で世界中の知識にアクセスできる。AIに聞けば大抵のことは教えてくれるし、今や車は自分で走るようになり、農機も人を乗せずに畑を耕す時代へ向かっている。

便利になった。間違いなく、便利になった。それなのに、頭の片隅にずっとひっかかっていることがある。


これほど多くのものを手に入れたのに、なぜ私たちは、自分が生きるために必要なものをほとんど自分でつくれなくなってしまったのだろう。


食べ物も、電気も、家も、服も、移動も、生活の大部分をどこか遠くにある巨大なシステムへ預けている。そのシステムが動いているあいだは問題がない。

けれど、原油が止まり、物流や肥料が止まり、円が弱くなり、電気が途絶えれば、途端に私たちの生活の脆さが露出する。

スーパーの棚から食べ物が消えたら、私は何日生きられるだろう。


これは文明を否定する話ではない。むしろ逆だ。私はもっと文明を使いたい。上手に使いたい。AIもロボットも科学もエネルギー技術も、もっと発展させ使えばいい。ただし、人間が巨大なシステムへさらに従属するためではなく、人間がもう一度、自分たちの生活を取り戻すために活用すべきだ。そこに次の時代の可能性がある。


1970年、アメリカの法学者チャールズ・A・ライクは『The Greening of America』を書いた。日本では『緑色革命』(りょくしょくかくめい)として紹介された本だ。

ライクは、人間の意識を大きく三つに分けた。


意識Ⅰは、土地や道具を持ち、自分で働き、自分の人生を自分で決める人間の世界だった。開拓者や農民、小さな商店主のように、自分の生活と仕事のあいだに比較的直接的な関係がある。


次に意識Ⅱが現れる。巨大企業、行政、大学、軍隊、金融、マスメディアが社会の中心になり、人間は「組織の中で生きる」ようになる。

学校へ行き、いい大学へ入り、会社へ入り、給料を上げ、家を買い、車を買い、消費する。私たちはこの道筋を、あまりにも当然のものとして受け入れてきた。

しかしライクは、組織が強くなるほど、人間が少しずつ本来の自分らしさから遠ざかっていくと考えた。


そこで現れるのが意識Ⅲだ。

会社でどう成功するかではなく、「どう生きたいのか。」 をもう一度自分に問い直す。

音楽、身体、自然、食、コミュニティ、性、服、精神性、創造。

生きるということを、自分の手元に取り戻していく。

60年代のカウンターカルチャーを、ライクはその兆しとして見ていた。


私はこの話を、単なる思想史として読んでいるわけではない。振り返れば、私の20代前半、まさに一語一句同じ問いの中をくまなく彷徨っていた。


私は生活を六つの要素で考えている。

衣・食・住・遊・知・美。

何を着て、何を食べ、どんな家に住み、どう遊び、何を学び、どんな美意識を持つか。この一つひとつを自分なりに整え、深掘りしていくことに、人生の醍醐味があると思っている。

ところが現代社会では、この「質」がしばしば価格へ置き換えられる。

高い服、高い食事、高い家、高い車。

消費によって生活の質を上げようとすれば、より多くの収入が必要になり、人生はどれだけ稼ぐかという競争へと傾いていく。

いい大学へ行く。いい会社へ入る。年収を上げる。資本主義のゲームとしては整合している。

けれど、私はそこには全く無関心な経営学部生だった。もちろん一通り勉強はしたけどね。


そもそも、お金を使って暮らす消費者は、つくる人がいなければ成立しない。完成品だけを買い続けて生活を構成するということは、一生、誰かが用意した環境の中で生きることでもある。

私はそれを、311の震災のとき、朝霞(埼玉)の六畳のアパートで強く感じた。外は混沌としていて、電気も、物流も、交通も、当たり前だと思っていたものが一斉に揺らいだ。

そのとき、死ぬまでずっと、生活のすべてを外部に預けて生き続けることはできないと確信した。


2016年、私たちは滝ヶ原ファームを始めた。どこか懐かしい農村の風景に、都市的な発想と感覚を持ち込み、古民家を拠点に「ここでどう楽しむか」という生活の実験を行った。

単なる逃避的なスローライフ願望ではなく、「これからどう生きるのか。」 という問いを、里山の中で考える期間だった。


土の上に立ち、植物の目線で世界を見る。近所の叔父や叔母を師とする。

薪を燃やし、田んぼと畑と山から食材を調達し、梅干しをつくり、味噌を仕込み、キノコを栽培し、家畜を飼い、旬になると腐るほど実る柚子や柿を加工して保存する。


手仕事を基本とする里山の暮らしは、一見すると手間がかかるけど、続けているうちに、まわりまわってこれが最も効率的で、永続的で、身体にとっても自然な生活なのではないか、と感じるようになった。


山々の稜線が連なり、日ごとに色を変える風景が、鈍っていた感覚を細かく割いて、咲いていく。鳥の声で目を覚まし、土に触れ、火を囲む。先祖にとって当たり前だった行為が、現代人の心を大きく揺さぶる。


けれど、それは「あの頃は良かった」と昔へ戻る話ではない。

都市的なセンスと野良の心をかき混ぜ、伝統と現代、土とデザイン、身体と情報のあいだに新しい価値をつくる。


限界集落は決して「限界」なのではなく、既存の仕組みが薄くなったからこそ、新しい仕組みを実験できる余白を持っている。

そして、生活を取り戻すとは、何もかもを一人でつくることではない。

完成品を買うだけの、なんでもお金で解決する生活から、少しずつ、自分で直接関わる生活へと移っていくことだと思う。


次回は、その「関わる」ということを、生活の質と半農半Xという視点から考えてみよう。

 
 
 

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