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The Greening of Japan #2消費から、関与へ

10月14日
読了時間: 4分

完成品ではなく、材料を買う。

種を買う。苗を買う。木材を買う。糸を買う。米麹を買う。

材料を買う行為は単なる消費ではなく、未来の自分の生活への投資になる。うまくいけば、食べ物になり、道具になり、服になり、家になって、自分のところへ返ってくる。

たとえ失敗しても、学びが収穫物として残り、翌年の糧となる。


こうして、お金と時間の使い道を消費一択にするのではなく、自分の生活をつくるための生産活動へ少しずつ投資を続けていけば、小さなどんぐりがいずれは大木となるように、人も地に根を張りながら、空に手を広げ、明るい方へと向かっていけるのではないか。


お金と時間を投資のための資産として見ると、生活の質が別の形に見えてくる。

価格ではなく、関与度だ。関わった時間とも言える。

自分で育てた野菜、自分で直した家、自分で仕込んだ味噌、自分でつくった料理、自分で縫った服。市場価格では測れないけど、自分の生活の中、つまり自分の世界では、明らかに価値がある。


現代社会では、「どうやって給料を上げるか」という話ばかりする。もちろん所得は必要だ。

ただ、もう一つの方法がある。生活に必要な現金そのものを減らすという考え方だ。

家賃が3万円下がれば、毎月3万円給料が増えたのに近い。野菜の半分を自分でつくれば食費が下がり、消費税に使う額も減る。将来、自動運転の車を共同利用すれば、ローン、保険、車検、維持費が減る。空き家を少しでも自分で直せば、新築30年ローンが唯一の選択肢ではなくなる。

収入額には向上心を持ちつつ、生活を手でつくり、支出を減らし、健康と人生の目的を取り戻していく。


今の時代、豊かさとは、稼いだ額ではない。

お金をどれだけ消費のために必要とせずに生きられるか。どれだけ自分の生活へ直接関与できているか。そして、どれだけ気持ちにゆとりを残せているか。


しかし、生活の全部を自給する必要はない。物々交換もありだし、近所の人がつくったものも食べたい。友達のつくった服も着たいし、海外にも行きたい。

年に何度かは自分の生活圏の外に出て、知らない価値観に触れることは、年齢に関わらず続けていきたい。

だから経済活動もちゃんと必要になる。食料自給に全力を投じる必要もないし、とはいえ、生きていくためにお金だけを追い続ける必要もない。

大事なのは、お金をつくる時間と、生活をつくる時間のバランスだ。


そこで半農半Xという考え方が出てくる。1995年、塩見直紀氏が提唱した。

半分は、自分の手で生活をつくる時間。土に触れ、食べ物を育て、身体を動かし、衣食住遊知美の基盤を自分の感覚へ戻していく。

もう半分は、社会と接続する時間。自分の好きなこと、得意なこと、興味のあることに携わり、他者や社会と交換する。

あくまで二つを切り分けるのではなく、往復する。

土から生まれた感覚を持って社会へ行き、社会から得た技術や知識を、また土へ持ち帰る。


こうした自然との直接的な関わりを持つことで、環境問題は大きな社会現象ではなく、目の前の自分事として捉えられるのではないかと思う。


食べ物を自給するといっても、現代の生活で100%を目指すのは現実的ではない。

日本茶だけでなく、中国のお茶も飲みたいし、ヒマラヤの岩塩も使いたい。山のものだけでなく、海のものも食べたい。そこは外部と交易するのがいい。

問題は、0か100かではない。

着目すべきは、地域や身の回りで何もつくらず、ほぼすべてを外から買う状態のもろさだ。

米、豆、芋、野菜、果物、肉、卵、醤油。まずは30%でもいいし、50%でもいい。

地域に食べ物があること自体が住民にとっての安全保障になるし、食べ物を育て、つくることのできる人が地域にいることは、GDPでは測ることのできない価値を持っている。


全部やらなくていい。でも、やろうと思えばできる。

この感覚を持っているかどうかで、世界の見え方は大きく変わる。

半農半Xは、単なる働き方ではない。生活の質を、価格ではなく関与度で測る考え方でもある。

どれだけ自分の手で関わっているか。どれだけ生身の身体を通して土と、世界と接続しているか。どれだけ好きな人と時間を使えるか。どれだけ子どもと一緒にいられるか。そして、どれだけ何もしないで空を眺めていられるか。

その密度と余白の両方が、生活の質をつくる。


ただ、ここまでならまだ、個人の工夫次第である程度は実現できると思う。

(具体的な「方法」については、またあとで書くね。)

でも、これを職業としての農業や、地域全体の暮らしの仕組みにまで広げようとすると、話は変わってくる。そこでは、個人の努力だけでは足りない。

次回は、百姓という働き方とAI、そして「所有しない農業」について考えてみよう。



 
 
 

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