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The Greening of Japan #3 100works -現代の百姓

10月20日
読了時間: 5分

日本には昔、「百姓」という生き方があった。もともとは、「さまざまな姓を持つ一般の人々」という意味だったけど、私はこの言葉を現代的に「たくさんの仕事をする人」と捉えている。


「100works ― 現代の百姓」

このテーマを、当時Takigaharaの創設者 黒崎さんから与えられたことが、私にとっての考えの発端となった。

飽き性で、一つのことだけをずっとやり続けることができない自分には、ぴったりなコンセプトだと思った。


江戸時代、日本の人口の約8割は百姓身分だった。けれど、百姓は必ずしも「農作業だけをする人」ではない。

畑を耕し、山に入り、家を直し、酒を仕込み、祭りを行い、商いや地域の仕事も担った。

暮らしと仕事が今ほど細かく分業される前、人はもっと複数の役割を持って生きていた。

それに、かつては今よりずっと多くの人が米や野菜をつくっていた。食べ物を育てたり、暮らしを自分でつくったりすることは、本来、一部の専門家だけが持つ特殊技能ではない。

方法を知り、少しずつ経験すれば、多くの人が生活の中に取り戻すことができるものだと思う。


一つの職業や会社名だけで、自分を説明しなくていい。

やりたいことはいくつあってもいいし、思ったことは全部やってみればいい。

ばらばらに見えていた経験も、いつかどこかで一本につながり、人生の新しい扉を開く鍵になるかもしれない。


私の場合、果樹をつくること、お酒をつくること、お寺で庭の整備、通訳やローカルガイド、までが現在の仕事。

畑、音楽、写真、刺繍、執筆、読書、お茶、料理などが生活にある。

季節限定の仕事、通年の仕事、単発の仕事、生活をつくる仕事、そして趣味。それらを組み合わせながら、一日、一か月、一年の予定をつくっている。


近代社会は、人間を一つの職業へ分解してきた。だけど、これからは逆になるかもしれない。

テクノロジーによって、一つの仕事に必要な労働時間が減れば、一人の人間が複数の生業を持つことができる。

手のひらのスマホが会計をし、調査し、在庫を管理し、販売を助け、気象データを見て、作物の状態を解析し、予定を組む。

以前なら何人もの専門家が必要だった仕事を、一人の人間が小さな規模で扱えるようになっていく。

ハイテクは、巨大企業だけを強くする道具とは限らない。使い方次第で、小さいものを強くする道具にもなる。

そしてこれは、農業にも大きな変化を起こすと思っている。


ただし、ここで「生活の農」と「職業としての農業」は分けて考えたい。

私が半農半Xや自給的な暮らしの中で考えている「農」は、そもそも大規模に機械化された農業ではない。

家のそばに小さな畑があり、野菜や果樹を育て、自分たちの食べ物をつくる。こうした生活の農に、何百万円もする農機は必要ない。

鍬(クワ)と鎌(カマ)とスコップとジョーロがあれば始められる。なにより、自分の身体で土に触れ、季節を知り、食べ物がどのように育つのかを知ることに意味がある。


一方で、職業として農業をするとなると、話は変わる。

一定の面積を耕し、商品として作物をつくり、安定して出荷し、収入を得ようとすれば、トラクター、草刈機、運搬機、冷蔵設備、倉庫など、さまざまな設備が必要になる。

この初期投資の大きさは、新規就農の大きな壁になっている。無論、現役の農家にとっても、機械や設備への投資、修理費、燃料や肥料などの資材価格、人件費といったコストは経営を圧迫している。


しかも、農機の多くは一年中動いているわけではない。耕起の時期だけ、収穫の時期だけ、あるいは年間のほんの数日間だけ使われ、残りの時間は倉庫に止まっている。

それを一軒一軒の農家がそれぞれ所有する構造は、人口が減り、農家が減り、機械が高度化して価格が上がるほど無理が出てくる。

だから職業としての農業では、「農機を所有する」から、「農機や作業へアクセスする」へ移った方がいい。

地域が機械を持ってもいい。協同組合でも、民間企業でも、複数の農家による共同所有でもいい。レンタル、シェアリング、作業請負でも構わない。


これまでの農業には、「農業をするなら、まず農機を買う」という発想が強かった。けれどこれからは、「農機を買う」のではなく、「必要な農作業を買う」という選択肢がもっと普通になっていい。

農家が、農作業そのものをアウトソーシングするという考え方だ。

たとえば、「明日の午前4時から7時まで、この畑を耕してほしい」と入力する。すると自動運転トラクターが圃場へ入り、朝、畑へ行くころには作業が終わっている。

草刈り、散布、運搬も同じように、必要な作業だけを、必要なときに頼む。

そうなれば、新規就農者が最初から何千万円もの設備(借金)を抱える必要はなくなる。


これは、まだ遠い未来の空想、ではない。

農作業をオンラインで依頼するサービス、時間単位で農機を借りる仕組み、遠隔監視で動く無人トラクター。

それぞれの技術やサービスは、すでに別々の形で実用化が始まっている。あとは、それらが一つにつながっていけばいい。

向かうべき先は、人間を農業から追い出すことではない。

むしろ、人間を農業へ戻すための仕組みだと思う。

延々と同じ軌道を運転し、重いものを運び、単純作業で身体を消耗する部分は機械に任せる。その代わり、人間は植物を見て、土を見て、味を確かめ、加工し、人に渡す。

農業の一連の流れの中で、機械に任せる部分と、人間の感覚を使うべき部分を分けていく。


さらに、画像認識や精密散布の技術が進めば、畑全体へ一律に農薬をまくのではなく、必要な場所へ必要な量だけ散布することもできる。

ハイテクは、農薬や肥料を増やすためだけではなく、使う量を減らしながら農業を続けるための道具にもなり得る。

未来は、もうすぐそこまで来ている。


暮らしの中では、身体を使うことそのものに意味がある。

職業としての農業では、高度な機械を共有する。

その二つを組み合わせることで、一人の人間がたくさんの仕事を行き来しながら楽しむ「100works-現代の百姓」が、現実的なライフスタイルになるのではないかと思っている。


そして、こうした共有の話を農機だけで終わらせる必要はない。

車、家、電力、加工設備、仕事、技能、時間。

地域社会には、使われずに眠っている資源がたくさんある。

次回は、それらを一つにつなぐ「Village OS」という考え方について書いてみたい。

 
 
 

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